死について考える詩
歌について考えるウサギ
げっ歯類について考える月食
…ああ、おれは、こよい…



かなりはっきりと分かっていることでも、言葉にされてみると案外ショックだったりする。
僕の「ひとこと」は詩ではない。
正確には、詩として成り立っていない。
でも、少しうれしかった。
かなり前の作品、作品というのもおこがましいものをみてもらったから、自信もって喜ぶことはできないけれど。
最近の作品に関してなら、自信を持って喜ぶことができる。
僕は、詩を作るよりもっと複雑な作業をこなして、「作品」を作っている。
プログラマー風に言うと、論理演算子==を使うより!=を使うほうがもっと複雑で可能性が高い。
上のものは一応、「詩」として書いた。過去のものにも「詩」はあるだろう。
しかし、最近は「詩」を作っているつもりだが、似て非なるものばかり作っていた。
ではこの場で僕は、何を詩として扱い、何を詩として扱っていないのか。
以下をなるたけ可愛く(男性はかっこよく)、でも感情こめずに、声を出して読んでいただきたい。


眠気はささない闇と孤独
ダイソーが大好きな電源コード


これはこれで面白い「作品」にはなりそうだが、続きを作るのはよしておこう。
1行目と2行目で、何か違わなかったか?
おそらく、2行目のほうが読みにくかっただろう。
だって、僕がわざわざ読みにくい音を集めたから。
ここで気付いてほしかったことは、実は、読みやすいか読みにくいかではない。
音を集めているかどうかなのだ。
「音を集める」ということがどういうことなのか、それは僕の技術的な核心なので触れないでおく。
どうしても考えたい人は、早口言葉がなぜ言いにくいのか考えてみることだ。しごく単純である。
とりあえず、僕の今日の定義では、1行目は「詩」ではなく、2行目が「詩」である。
そして、僕は徹底的に恥ずかしくなるまで自分の原稿を読み上げるので、だいたいの作品は1行目のようになっている。
2行目は、ただ、音を集めただけ。
1行目は、音が集まらないように、分散させてある。
もっとも、1行目が僕の過去の作品で、2行目があえて音を集めただけのものであるから、僕の思い入れの大きさの違いもあると思う。
今回は、「詩」である2行目が作品に組み込まれているので、なんとか作品を「詩」としてでっちあげることは可能だろう。



でも、僕は、詩なんて書きたくなかった。
なぜなら、僕は、誰にも書けないものを書くから。



僕の書く作品は、語呂が悪い。
それは音を集めていないからだ。
なんとかするつもりだったが、今日、思いなおした。
音を集めることは誰にでもできる。
僕にできることは、もっと内容を煮詰めることだろう。
そして、音を分散させて、リズムを壊すことだろう。
ちょっと待って、でもリズムを壊す、ってことはもとはリズムがなければいけないのか。


いや、でも、僕の作品のほとんどが、とあるものを表現しているから…
全体として、なんか、流れのようなものは、存在するはず。



もっとも、僕が煮詰めに煮詰めたものを書くと、気分が悪くなってしまう人がいるので、売り物、ことサークルとして売るものに関しては、中途半端にならざるを得ないだろう。
高校のときほど部活に打ち込めない理由を、見つけた気がする。